農家レストランという「物語」

Lifestyle―これからの未来を創る「生き方(暮らし)」とパートナーシップ

西五反田で個展を開催しています( 2020年1月25日まで )

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農家に生まれ、畑直送の野菜を食べて育ちました。

18歳で初めて都会の生活を経験し、野菜の味の違いに驚きスー パーの野菜が食べられませんでした。

それ以来、「都市にはない農村の価値」を求め、農村を20年間研究 してきました。

その間出会った農山漁村の食卓や風景、農家や漁民の豊かな生 き方への感動を絵に表現しました。

「食や農業に関する対話の場を作りたい」そんな想いを Vent e Mareで実現することにしました。

Wakako Otomo ーConnect Rural with Urbanー

Date: 2019/11 /25~1/25 Place: Vento e Mare

営業時間:

火~金、祝前日: 11:30~14:0018:00~21:30

土: 11:30~14:30 18:00~21:30

日、祝日: 11:30~14:30 17:30~21:30

定休日:月

TEL:03-3494-1443

Place: Vento e Mare 

gdfe502.gorp.jp

Access東京都品川区西五反田5-26-1 不動前駅[出口]から徒歩約5分

 

20,000人の観光客が訪れる村~宮崎県西米良村 小川作小屋村を訪ねて

宮崎県の西部、人口1,000人余りの山村に、年間20,000人もの観光客が集まる農家レストラン「小川作小屋村」があるというので、行ってみた。

レストラン情報

「小川作小屋村」の誕生物語

「小川作小屋村」がある宮崎県西米良村の小川集落は過疎が進む限界集落です。かつては林業で栄えた村ですが、1960年代の燃料革命・高度経済成長以降、急速に過疎高齢化が進み、平成6年に行われた人口の長期予測では、平成22年には村人口が748人になるとの結果が出ました。

特に小川作小屋村がある小川集落は人口減少が顕著で、平成17年には人口100人弱、高齢化率71%に達しており、集落存亡の危機が高まっていました。

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中山間地域 西米良村の風景

そこで、背水の陣で新しい企画が立ちあがりました。小川集落の文化でもあった「作小屋」を利用した「小川作小屋村構想」です。

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小川作小屋村

 小川集落には、林業や農業の休息時に使用する「作小屋」という小屋がありました。この小屋を、復元して当時「平成の桃源郷」として、再生しようとする構想です。行政と地域協議会がなんども話し合いを重ね、「農村と都市の交流の場」「地域経営拠点」「都市住民の体験工房の場」地域再生拠点構想が始まりました。

 この作小屋を起動に載せるために、小川地区では計96回にもわたる地域協議会が開かれ「この地域をどうしても残したい。どのようにすれば残せるか。」という地域住民の想いを一つにまとめていく場が設けられました。

 話し合いで大切にされたポイントは次のようなものです。

一つには、景観を統一させること、二つには地域の郷土料理を目玉にすること、三つには、女性の意見を活かすこと、です。

 郷土料理の提供者としては地域の婦人会の女性たちが選ばれ、地元で採れた食材を活用した小川の味を楽しむお食事処(小川四季御前)が誕生しました。平成21年のことです。

小川作小屋村の伝統料理

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小川作小屋村の伝統料理―小川四季御前

 目玉料理は、16皿に1品ずつ並べた郷土料理です。すべて地元の婦人会で鍛えた農家のお母さん方の手作りです。写真のメニューは芋と椎茸の煮しめ、おからサラダ、小川豆腐、おから天、梅ゼリー、鹿の甘酢和え、椎茸天ぷら、わらび、こんにゃく、タケノコの煮しめ、カラーピーマンの油炒め、栗の渋皮煮など。

同じ敷地内には宿泊施設のバンガローもあります。

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バンガローの内観

1泊素泊まり2,500円、夕食付きで4,400円で何とも豪華な空間です。ゆったりとした山村で、家族や大切な人と水いらずの時間を過ごしてはどうでしょうか

 

 

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料理を作っているお母さんの笑顔
 そして、料理を作っているお母さん方の平均年齢は70歳。一日130食を作ることもあるそう。料理の腕前は、地域の法事などの行事の食事を一手に担ってきた婦人会で鍛えています。ただ一つ、今の作小屋村が抱える課題は、お母さんたちの食文化を継承する若い担い手が不足していることです。長い年月を経て育まれてきた郷土料理、継承するのはそう簡単ではないそうです。

お店の周りは、四季の変化に伴って変わる山々が「桃源郷」として美しい。ぜひ、一度「令和の桃源郷に訪れて、山村の魅力を感じ取ってみてください。

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四季にともない変化する山々

 

「風景」を表現したお店『穂波街道 緑のイスキア』

レストラン情報

「穂波街道」誕生物語

 今回は山形県鶴岡市にある「穂波街道」をご紹介します。穂波街道は、1990年代の前半に誕生した、日本では先駆的な「農家レストラン」です。経営者は、庄司祐子さんという女性。メニューはイタリアンです。

 「穂波街道」のコンセプトは「ゆらゆら揺らぐ黄金色の庄内平野の美しい田園風景の中で地域の食を提供する」です。このコンセプトは裕子さんの経験と関係しています。

 裕子さんは22歳の時に、東京から鶴岡市の農家の家にお嫁に来ます。そして庄内平野の風景に大きな驚きを覚えます。きらきら光る庄内平野の田園風景は、裕子さんには宝物のような風景に見えたと言います。こうした感覚は、都会で生まれ、農村をあまり知らなかった裕子さんだからこその感覚だと思います。

 そして裕子さんはこう思ったそうです。

それは、この風景だからこそ、この土地だからこそ、できる自己実現をしたい、というものでした。そして、飲食店を開けば、ここにお客様が来てくれて農村や農業の価値を伝えることができる、喜んでくれるお客様の顔も見れる、そう思ったそうです。「農家レストラン 穂波街道」のスタートでした。

 

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穂波街道 外観

メニューはナポリピッザ

料理のメニューは畑のハーブや野菜を活かせるものとして、イタリアナポリの伝統料理、ナポリピッザを選びました。チーズはナポリからの直輸入です。

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ナポリから輸入した薪窯

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穂波街道はナポリピッザの職人の称号を東北で最初にとりました

裕子さんの「農家レストラン」への想い

裕子さんが「農家レストラン」で実現したいことは、

「消費者の方々に農村の価値を伝え農業や農村について知ってもらいたい。

国内の農業が必要だと思ってほしい。」という想いです。

今の日本は、外国から安い農産物が入るため国内の農業が衰退し、農家の人口は全体のたった3%65歳以上が8割という数字です。

あと数年すると農家人口は急激に減り、全体の1%ほどになってしまうと言われています。

けれど、日本の経済の力が衰え、戦争や自然災害の危険も差し迫っている中、日本がいつまでも食料を外国から輸入できる保証はありません。

「農業が大切だ」と思ってくれる消費者が増えること、それがこれからの日本において、とても大切なことになる、と裕子さんは考えています。

 

「庄内の食」を伝える『菜ぁ』

レストラン情報

  • 店名:菜ぁ
  • 所在地:〒997-0006 山形県鶴岡市福田甲41
  • 営業時間:11:30-14:30/17:30-21:30
  • 定休日:毎週火曜日・毎月第3水曜日
  • 平均単価:1000円~3000円
  • 店長名:小野寺のりまさ
  • ホームページ:http://www.e-naa.com/eigyo/

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「菜ぁ」の誕生物語

 農家レストラン「菜ぁ」は、日本でも有数の米どころ、庄内地域鶴岡市にあります。

お店のコンセプトは「地域の多様な食を提案する」です。経営者は小野寺のりまささん34歳です。

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小野寺のりまさ さん

 庄内地域は日本でも有数の農村地帯ですが、実はコンビニ等も増え、「地域の農産物を活用した食」を味わうことのできる場所が減っています。世界中から食が輸入され、地域独自のものがかえって手に入りずらくなる「食のグローバル化」です。

 そんな中、地域農業とつながった「食の味」を、特に子供たちに伝えたい。そんな想いがのりまささんにはあります。

 それは、子供たちが「地域の食の味」を知ってくれれば、庄内地域に愛着を持つようになり、子供たちが将来地域を担う担い手になってくれるのではないか、という想いです。こうした想いは、実はのりまささんが「地域の食」が地域の愛着となって都会から帰ってきたUターン者だからです。

都会から農村へのUターン

 

 のりまささんは、大学卒業後、横浜の研究機関で働いていました。そうした中、都会の生活に疲れたこともあり、家の農業を継いで地域で生きていくことができないかと考えるようになります。その時に、帰ろうと決めるきっかけになったのが、「地域の食の味」だったと言います。

 自分の生き方を模索する中で、農業をしながら人に喜んでもらえること、地域の食に貢献できること、を考えていった先に、「農家レストラン」という飲食店が誕生しました。

菜ぁの目玉メニュー

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菜ぁの朝食

 

 菜ぁでは、自家製野菜を中心にお肉・お魚・その他野菜など地元食材を中心にランチ・ディナーメニューを提供しています。その中でもお客様が絶賛するのが「お米」です。

 美味しい米づくりの秘訣には、前職で化学や発酵工学を学んだ経験を活かした有機農業による旨みを増やす土作り。収穫したお米の鮮度管理、炊き方のコツなど、たくさんの探求があります。

 是非一度、雄大鳥海山を背にした農家レストラン「菜ぁ」をご来訪ください。

 

 

 

はじめに―「農家レストラン」の物語と出会おう

 

 

農家レストランはネーミング通り、「農家が経営しているレストラン」を指します。農家が直接に自分の畑から採れた食材を使用して作っているので畑直送のレストラン、と考えてもらえればいいと思います。

 

 

売りはなんと言っても、素材が新鮮なこと。

それから、農家の古い家屋や、自然いっぱいの風景など、農村の美しさや暮らしの智恵を感じることができることも、一般のレストランとは違うかもしれません。

それから、農家の溢れんばかりの「食への想い」を聴くこともできます。

 

このブログは、日本の「農家レストラン」の物語について書いています。

実は、「農家レストラン」、ただ単に食を提供しているだけではなくて、農家のいろいろな「想い」が詰まっています。農家の人生の物語も詰まっています。

農家の「生き方の智恵」が詰まっている、農家レストランの物語を知ることはこれからの私たちの生き方にきっとプラスになると思います。

ぜひぜひ読みながら、農家レストランの物語」を堪能してみてください。