農家レストランという「物語」

Lifestyle―これからの未来を創る「生き方(暮らし)」とパートナーシップ

「風景」を表現したお店『穂波街道 緑のイスキア』

レストラン情報

「穂波街道」誕生物語

 今回は山形県鶴岡市にある「穂波街道」をご紹介します。穂波街道は、1990年代の前半に誕生した、日本では先駆的な「農家レストラン」です。経営者は、庄司祐子さんという女性。メニューはイタリアンです。

 「穂波街道」のコンセプトは「ゆらゆら揺らぐ黄金色の庄内平野の美しい田園風景の中で地域の食を提供する」です。このコンセプトは裕子さんの経験と関係しています。

 裕子さんは22歳の時に、東京から鶴岡市の農家の家にお嫁に来ます。そして庄内平野の風景に大きな驚きを覚えます。きらきら光る庄内平野の田園風景は、裕子さんには宝物のような風景に見えたと言います。こうした感覚は、都会で生まれ、農村をあまり知らなかった裕子さんだからこその感覚だと思います。

 そして裕子さんはこう思ったそうです。

それは、この風景だからこそ、この土地だからこそ、できる自己実現をしたい、というものでした。そして、飲食店を開けば、ここにお客様が来てくれて農村や農業の価値を伝えることができる、喜んでくれるお客様の顔も見れる、そう思ったそうです。「農家レストラン 穂波街道」のスタートでした。

 

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穂波街道 外観

メニューはナポリピッザ

料理のメニューは畑のハーブや野菜を活かせるものとして、イタリアナポリの伝統料理、ナポリピッザを選びました。チーズはナポリからの直輸入です。

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ナポリから輸入した薪窯

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穂波街道はナポリピッザの職人の称号を東北で最初にとりました

裕子さんの「農家レストラン」への想い

裕子さんが「農家レストラン」で実現したいことは、

「消費者の方々に農村の価値を伝え農業や農村について知ってもらいたい。

国内の農業が必要だと思ってほしい。」という想いです。

今の日本は、外国から安い農産物が入るため国内の農業が衰退し、農家の人口は全体のたった3%65歳以上が8割という数字です。

あと数年すると農家人口は急激に減り、全体の1%ほどになってしまうと言われています。

けれど、日本の経済の力が衰え、戦争や自然災害の危険も差し迫っている中、日本がいつまでも食料を外国から輸入できる保証はありません。

「農業が大切だ」と思ってくれる消費者が増えること、それがこれからの日本において、とても大切なことになる、と裕子さんは考えています。